別居する方が良いのかな。。。

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毎日出勤時靴蹴られてます。

 

これが中国で15年単身赴任し帰国した人の大半が味わう結果なのでしょうか。

確かに自由に過ごせた日々。。。しかしそれは慣れない地域で頑張れたのは家族の為

ストレスが溜まり、毎日心拍数は100を超え、頻脈症となり薬飲み始めました。

家族の為に犠牲となり、このまま終わるのかそれとも離れる方を選択するのか

とても迷っている日々を過ごしてます。

 

お互いや子供の為に良くないので別居した方が良いのだろうか。。。

 

海外で入院した場合に出来る事。

お早うございます。

だいぶ朝も冷え込んできましたね。

 

さて、海外生活していたことはお話しましたが

2019年2月に謎の病気で中国で約3週間入院し、ほぼ全身が痛くて寝たきりになりました。

今回はそのお話をさせていただきます。

1月末に日本に帰国し、約1週間過ごし中国に行った初日から異変を感じ始めました。

まずは踵に内出血がみられ、歩くのも日に日に痛くなり、腰痛も始まりました。

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その後その痛みは全身の関節に移り、痛みで寝たきりとなってしまいました。

ありとあらゆる検査を行いました。(痛風、リウマチ、脊椎筋痛症など)

しかしながら病気は発見できず、緊急帰国し京都大学病院でも検査しても何も見つからず

2ヶ月後その痛みは消失し、医者も結論づけることができませんでした。

 

中国での入院にはもちろん保険もなく、金額でいうと約100万円近くと聞きました。

さてそのお金はどうしたかという事ですが。

1、JALゴールドカードに入っていた為海外旅行保険付帯で一円も払わずに済んだ

2、払ってはいないが、日本の社会保険に入っていれば(国保もOK)日本でかかった費用に換算し、国民は三割負担なので70%返してくれました。(実際は40万円の返金)

3、現地には必ず保険代行の会社があるので、チェックしておくこと。

必ず治療記録と領収書を受け取ること。

ゴールドカードなどは年会費が高いですが、初めて助かったと思いました。

なぜなら海外の病院は先払いでないと対応してくれないからです。

入院中必死に保険についても調べました。無料の保険で海外保険付帯がついているのは

エポスカード!年会費も無料でしたので、即入会しました。

まさか自分が入院?と思いましたが何が起こるかわかりません。

無料なら入ってみてもいいんじゃないでしょうか。

 

 

自立支援金今月まで。

自立支援金申し込み期限が今月末ですね。

 

昨日のブログでは何とか日本へ帰国のお話をしましたが

今回は国に対しての支援金申請し実際受給したことの流れをお話します。

 

夏に大腸憩室炎という腸炎になり、入院する事になりました。

やはりここで心配になったのは、『 お金 』の問題。

とても困りTIQTOKで頻繁に見かける自立支援金と総合支援金の申請方法を見て

地元の 社会福祉協議会 に問い合わせし 資料を用意して退院日に即一回目伺いました。

ここでのアピールは 今現在困っていること。コロナ禍により生活に影響を受けたことを

必死に伝え、まずは自立支援金を7月に申請し、総合支援資金は資料記入と

チェックだけは先にしてもらいました。 

自立支援金が振り込まれた後に初めて総合支援資金の申請ができるのです。

同時に申請ができない為このようになります。

7月初に自立支援金申し込み

約10日後の7月中頃 20万円の入金

同時に総合支援資金申し込み

1回目 20万円 8月初旬

2回目 20万円 9月7日

3回目 20万円 10月7日

そして10月に延長をしますかという書類が届き再度申し込み

4回目 20万円 11月に受け取りました。

 

しかしながらこれは貰うお金ではなく、政府からの貸付金なのです。

政府は令和3年度か4年度が住民税非課税だと自立支援金と総合支援金の初回は

返済免除ということらしいのですが、まだそのような最終通知は来ていません。

 

ただ今、お困りの人は地元の福祉協議会に自立支援金でも申し込んでみたらどうでしょうか。

今月末までとなってますから。

 

 

 

 

 

半年契約延長決定。久々の熟睡。

本日、仕事の半年契約延長が決まりました。

やっと熟睡できました。

 

時を戻し2020年7月

中国広東省東莞におりましたが、日経企業より解雇されました。

日本に帰るお金の余裕もなく、コロナ禍で飛行機も少なく、何とチケットは20万円以上。

このまま中国で野垂れ死にするのかと思っていましたが

10月に中国の企業からの一本の電話。日本の営業マンが欲しいと言われ

すっ飛んで行きました。私はなんせ仕事をしなければならないと思い、

わらをもすがる思いで、何とか1年契約にこぎつけ日本へ帰ることができました。

しかし、日本は緊急事態の日々が続き思うようなせいかもあげれず、はや一年が経ちました。

先日案件が進みそうになり、結果何とか半年契約継続をゲットでき、久々に美味しいお酒

と睡眠を得ることができました。

 

さて、私は中国で15年過ごしてきましたが色んな事がありすぎました。

それはまた別のブログで描きたいと思います。

今人生で苦労している方には今後もぜひこれからも読んでいただきたいです。

では今回の初ブログはここまでにいたします。